もぞらもぞら

東北のもぞもぞする話題を考察

白石城とサン・ファン号

独眼竜ブームとバブル遺産

伊達政宗公の重臣片倉小十郎景綱の居城、白石城です。明治時代に取り壊されましたが1995年、白石市によって再建されました。風格のある三階櫓は江戸時代と同じ木造建築です。高さ制限など建築基準法の縛りもあり、木造で復元された天守閣は全国でも珍しいと言われています。建設費は約20億円。「これでは借金コンクリートじゃないか」と当時は皮肉も聞かれたそうですが、市民の賛同が市の構想を後押ししました。

 

同じころ、石巻市では支倉常長が率いた遣欧使節サン・ファン・バウティスタ号の復元が動き出しました。こちらは県が中心となり地元石巻を巻き込みました。17億円の事業費に対し寄せられた募金は5億円以上にのぼり、県民のサン・ファン号に対する熱は日増しに高まりました。ときは昭和から平成にかかる時期。背景にはバブル景気がありました。さらにNHK大河ドラマ独眼竜政宗」が大ヒット。政宗公ゆかりの地に光があたり、各地で観光スポットの整備が進められました。

旗振り役の本間知事 汚職で逮捕

平成の伊達政宗を意識したのかどうかはわかりませんが、当時の本間俊太郎宮城県知事はサン・ファン号復元の旗振り役を務めました。ところがサン・ファン号が進水式を迎えた1993年、その本間知事がゼネコン汚職事件で逮捕され辞職。のちに実刑判決を受けることになります。サン・ファン号は事件とは無関係でしたが、それまでのムードは冷や水を浴びせられた形になりました。

命運が分かれた城と船

あれから約30年。ほぼ同時期に造られた城と船の間には大きな差がつきました。

 

白石城東日本大震災などたび重なる地震被害を乗り越え、いまも全国から観光客を受け入れています。一方、サン・ファン号は震災の津波で船体が歪み、主要な部材やマストが腐食したとして解体されました。陸上の建築物と係留された船を同じように比べることはできませんが、船の復元を願った人々の熱意は城の再建を望んだ人たちの情熱に勝るとも劣らなかったはず。それだけに、まるで見捨てられるように解体されたサン・ファン号の結末はなんとも残念です。

聞けなかった村井知事自身の意見

解体を決めた村井知事は、有識者による検討委員会の意見を決定の根拠としましたが、県が十分に保存の可能性を探ったような痕跡は見当たりませんでした。さらに村井知事は「解体は議会の同意を得ている」と胸を張りましたが、私は知事がこれまでサン・ファン号をどう見ていたのか、知事自身の意見を聞くべきだったと後から思いました。

 

それは一昨年11月の定例会見での村井知事の発言を知ったからです。参考までにその内容を県のウェブサイトから転載します。サン・ファン号の解体着手を10日後に控え、村井知事が記者たちに告げた言葉です。5回目の知事選を圧勝した翌日のせいか軽い口調ですが、私はこれを知り、知事はサン・ファン号など関心のない存在だったに違いないと思いました。

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村井知事 「(11月)10日までは現在のまま、そのままありますので、夜はライトアップしていますから、今はちょっと肌寒いんですけれども、ちょっと厚着をしていただくと非常に気持ちよく見ていただけると思います。まだ見たことないでしょう。すごくきれいだよ。下からライトアップされて幻想的な感じですよ。ライトアップやってないの。」

担当課 「船はしてないです。 上のサン・ファンパーク、公園のほうだけです。」

村井知事 「じゃ、昼間しか見られないんだね。ごめんなさい。言い直します。昼間ぜひ見に行っていただきたいと思います。」

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宮城県知事記者会見(2021年11月1日)より抜粋